お金は無限、時間は有限

この連休でふと気付きました。

お金を一番に考えなくなっていることに。

「お金は無限、時間は有限」

という感覚になっている。

以前は無料のものに飛びつきました。

物を買う時も「安い方」を選びました。

でも、今は違う。

より楽しめる方を選ぶ。

何かを決める時に

値段をまったく見ないことが多くなった。

連休中に大きな公園へ遊びに行きました。

すると一緒に行った友人の一人が、

「(公園のすぐ隣にある)住宅展示場にぴょんぴょんがあるよ!」

と言うのでみんなで行きました。

ぴょんぴょんって、

空気で膨らんでいて

トランポリンみたいな感じで

子供が入ってぴょんぴょん飛び跳ねるアレです。

すると流れで住宅展示場で過ごすことに。

ああいうところって

子供が寄っていくような

おもちゃとかボールすくいとかを

展示場の玄関前に置いてありますよね。

子供は楽しそうな方へ自然と向かっていきます。

そして流れでアンケートを書いて、

展示場の中を見学して営業さんの話を聞いて、

話す必要はまったくないのに営業さんと話をして、

30分、40分そういう時間を過ごして、

子供達は100均のおもちゃを1個もらう。

いいおもちゃをくれるところでも、300円くらいのものと思われる。

いや、以前はそれでいいな、と思ってたんです。

でも今回はものすごい違和感を感じて、気が付きました。

今回は友人たちと過ごしたくて一緒へ展示場へ来たけれど、

一人だったら絶対に選ばない行動だ。

おもちゃが欲しかったら、買いに行く。

すぐ終わる。

そして子供の喜ぶところへ遊びに行く。

そちらの方へ時間を使いたい。

そうだ、時間は有限だと思っているんだ。

子供はいつかは親から巣立つ。

遊んでくれるのも今のうち。

だからなるべく一緒に楽しい時間を過ごしたい。

家を建てるつもりもないのに営業の人と話す時間はもったいない。

100円くらいなら普通に買った方がいい。

あ、でもですね、

予約して行くと5000円くらいのお肉をポーンとくれたり、

6000円分の商品券をくれるようなところもありますよね。

ああいうのはちょっとそそられますね、、^^;

いつか、

「あのお肉食べてみたいな」と思ったら、

予約して行ってしまうかもしれません。

まぁどちらにしても、

値段じゃなくて

自分にとってそれがどのくらいの価値があるか、が重要なんです。

違和感に気付いて、

「私は時間は有限だと思っているようだ」

とふと気が付いたとき、

「それならお金のことは・・?」と一瞬思い、

「お金は無限だと思っているんだなぁ」

と気付きました。

私が死んでも、

私のお金は残りますよね。

私が死んでも、

世の中のお金の動きは止まらない。

今生きている自分の命は有限。

お金は無限。

楽しめる時間は有限。

お金は無限。

今まだ

「お金を得るために働く」

という思考がありますが、

この「時間は有限、お金は無限」の考えが自分の中で広がっていくと、

「お金」は「楽しむ時間」に従わせる、というか、

「お金を得るために働く」ということがなくなりそうな気がしています。

「楽しいからする。」

ただそれだけになりそう。

それは仕事も同じ。

楽しいことだけ、する。

あれ、、今、私、

「いつかそんな風になれるんだな、うれしいな」

と思って、そう書こうと思ったんですが、

あれ、私、もうそうでした。

よくよく考えたら。

びっくり。

奇跡みたいな今。

ありがとうございます。

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コメント

  1. かにちゃん より:

    前回の記事で、ブログを紹介くださりありがとうございました。私も好きな事を夢中で話し合えるということが、学生時代のようで楽しい!と感じていました。私の中ではこんな会話も「女子高の休み時間」のイメージで。ブログを書いたり、読ませて頂いています。るんさん、なつろんさんに誉めて頂き、喜びMaxでした(^^)

    今回のお金と時間のお話、とても共感しました。私も過去には「無料」に目がなかったのですが、今は、それで楽しいくない時間を使うくらいなら、お金を払ってでも時間の余裕や、楽しい気分など、生活の質が良くなる方を選ぶなぁと共感しました。

    無限か有限か…、興味深いですね!
    楽しい話題をありがとうございます。

    • run より:

      かにちゃんさん

      私はまだ人の死を受け入れることができていません。
      でもこの記事を書いていて、
      「『私の』楽しめる時間」は有限だけど、
      「『人間』の楽しめる時間」は無限だなぁ、と思いました。
      「私」が死んでも、「人間」は途絶えないでしょう。

      そうすると、
      自分はエイブラハム等が言う「集合体」の一部なんだなぁ
      と実感として感じることができました。
      一歩前進な気がします。

      コメントありがとうございました^^!