と書いてきて、
この世に生まれてきた、
この自分というキャラクターを生きればいいんだ。
って思いました。
神様に与えられたのか
自分で選んだのか分からないけど、
この私という一つのキャラクター。
全くのオリジナルのキャラクター。
経験も全てオリジナル。
世界70億人もいる中で、
ただ一つだけの存在。
生きるというのは、
どれか一つを選ばないといけないってこと。
二つは選べない。
ゼロでもない。
AでありながらBやCになろうとするのは
Aという存在・キャラクターにとって失礼な話。
AならAを生きればいい。
NHKの朝ドラひよっこを観ているんですが
あのドラマは
AはAを、BはBを、CはCという人間をちゃんと?生きていて
それぞれに色々あるけど、
それをダメだとか思わないで
自分をダメだとか思わないで、
それぞれのキャラクターでみんなと交わる。
色んな人がいる人間関係を楽しんでいる。
自分にも他人にも優しさを持ちながら。
だから、見ていてすっきりした気持ちになります。
こういうのいいな、と思う世界が描かれているから。
現実はここまで輪郭はっきり
「自分のキャラクターを生きる」
っていうことは見えにくいけど、本質は同じ。
連投しているA子のことから考えたことや
朝ドラひよっこを観て、
自分で自分を受け入れるというか
「私はこの役ですね!了解しました!」
という気持ちになれました。
だから、
私は誰々みたいに周りに気を配れない
とか
私は誰々みたいにわがままを言えない
とか
私は誰々みたいに〇〇じゃない、〇〇できない、
って思わなくてもいい。
だって私は誰々じゃない。
私は、誰々は持っていないものを持っている。
それ(一つのキャラクター)を認めて、そのまま生きる。
書いてみると、
そんなこともできていなかったのかと
ちょっと恥ずかしいですが、、^^;
自分は自分を生きればいいだけなんだなぁ
と今更、改めてそう思います。
覚悟を決めて、一つになる。
でもそれは楽しく、気分が楽になること。
誰かに何かを言われても関係ない。
だってそれが自分だもの、誰かに何か言われても関係ない。
無理に誰かに合わせる必要もない。
そのままの自分が正解なんだよ!?
誰かに合わせる意味、ないよね。
何を感じるのか
何が好きなのか
何が嫌いなのか
何を思うのか。
全部正解で、恥ずかしいことは一つもない。
それどころか、誇りを持っていい。
自分を生きるって、気が楽になることだったのかぁ。