人を喜ばせるのは自分を喜ばせる練習になるなぁ

ふと、思いました。

「自分を満足しつくさせるのが引き寄せのキモか・・」

「子供の方が満足させるのに(言い方悪いけど)規模が小さくて済む気がする・・」

「反抗期は小さいうちだからかわいい内容だけど、大人になってから反抗期をやり直すとめちゃくちゃ大変だもんね・・(妹がそう。)」

子供のうちに満足のメーターが降り切れていれば、

あとは自分の希望の人生を創造していくだけだものね!?

それが、本来の大人のあるべき姿、というか、

そうありたい、というか、

そうであれば人生創造を楽しめそうだな、と思いました。

そして、子供がうれしい気持ちになるようなこと、

満足のメーターが降り切れるようなことは何かと考えて、それをする。

・・って、それを自分にもやればいいんですよね。

いや、おかしいか。

自分にもそうしてあげて、

同じことを子供にもする。という感じかな。

満足のメーターが降り切れるほどにうれしい時って、

私の場合は、自分が思ってもないことになった時に

ものすごくうれしいと思う気がします。

予想してた以上のものを体験した時のうれしさ。

あれは感動する。

その感動レベルのことをしたい。

自分にも、子供にも。

その感動レベルのもの、予想以上想像以上のものを実際どう表すのかを考えるのが

すごーーーーく頭使う(笑)

自分を感動レベルに喜ばせるのって頭使いますよね。

で、はっきり言ってめんどくさい。

自分を喜ばせる、自分を幸せにするのがめんどくさいって、

おかしいけど、ありがちだと思います。

だから、これまた言い方がおかしいですが

子供を対象にして感動レベルに喜ばせるのはいい練習になるなと思いました。

はっきり言って大人がうれしいと思うことも、

突き詰めれば子供とそう変わらないじゃないですか。

でも、子供の方がより単純なように感じる。

だから、いい練習台(笑)

子供を喜ばせることで、

自分を喜ばせる腕がきっと上がります。

お金をかけなくたって子供は大喜びしますよね。

いつもとちょっと違う、特別感がある感じとか。

通りすがりにほっぺを撫でてチュッとするとか。頭を撫でるだけでもいい。

いつもはしないこと。

ちょっと手間がかかるけど、

喜んでやってあげよう。

もしそれほど喜んでもらえなくても、数打ちゃ当たるだろう。

特に、

「こうしてほしい」と思ってることがあったらそれは

BIG CHANCE!!

バッティングのボール拾い練習?なんて言うのあれ(笑)

どこに落ちたボールもすごい拾いまくるあの練習。

あんなイメージで(笑)

子供の(私の)要望、希望、不安、おそれ、怒り、悲しみがあったら

可能な限り一つ残さず拾って拾って拾いまくる!!!

やはり感情が大きなナビゲーターになりますね。

もちろん、何もない時も喜ばせることは可能ですけどね。

ふふ、今日子供たちが帰ってきたら、

自分の中でゲームみたいにやってみようと思います。

もちろん自分に対しても。

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