「世界は全部自分。」
以前は良く分かりませんでしたが、
今はその感覚が分かるようになりました。
自分の思考が、
自分の経験する世界に一致していくことが分かったからかもしれません。
引き寄せを積み重ねると、
そう思えるようになってきます。
嫌なことを見聞きした時は、
「あぁ、以前思考を調整していなかった時の名残が出た」
と思って、
良い気分になるようにします。
それは、楽しいことをすることだったり、
楽しいことを思い浮かべることだったり、
見聞きした嫌なことを、
最高(面白い、楽しい、素敵)と思える良い場面に変えて思い描いてみたり、
色々なやり方があると思います。
子供と過ごす毎日は、
どんな方向から引き寄せの問題(ゲームみたいな)が飛んでくるか分からないので
おもしろいです。
飛んできた問題に対して、
こちらはどう引き寄せ的対応をするか、というところがおもしろい。
世界は全て自分。
見えている、認識しているものは全部自分、という感覚なので、
子供が駄々をこねていると、
母親としては「困るなー、やだなー」って場面ですけど、
自分を見ている感覚なんです。
あぁ、分かる、私そういう部分あるよね。
過去の、子供時代の私ももちろんそうだし、
今の私だって駄々をこねたい時ってある。
そう思いながら、子供に
「どうしたー?泣きたい気持ち?嫌だったのー?そういう時あるよねー」
と言います。
そして、
自分が泣いてる時に
どんな風にしてもらったらうれしいか、
どんな風にしてもらったら愛を感じるか、幸せを感じられるか、
を想像します。
そして、それをしてあげる。
子供にしてあげてるんだけど、
自分にしてあげてるような感覚でもあります。
そうすると子供は
「確かに愛を感じました」という反応をくれるんですよね。
かわいいです。
さらに泣いて抱き付いて来たり、
だんだん落ち着いてきたり、
気持ちを切り替えることができるようになったり。
「子供は甘やかされて自立する」
とか
「子供との信頼関係うんぬん」
とか
育児本で書かれている通りのことをしているなーと思うこともあります。
でも、行動の出所がちょっとちがう。
確かに子供を思っての行動でもありますが、
その前に自分の幸せがあります。
たとえば、
「人に優しくしたらおこずかいがもらえるから、優しくする」
というわけではありません。
おこずかい欲しさに、おこずかいを念頭に置いて優しくする、
というわけではないんです。
私は優しくされたらうれしい、相手もうれしいだろう、
私も幸せ、相手も幸せ、
って感じでしょうか。
そう、自分が今作った「幸せになる場面」は
自分の現実に必ず現れます。
全く同じ場面ではないかもれないけど、
時を変えて、
場所を変えて、
形を変えて、
自分の現実に現れます。
時も、場所も、形も変わるけれど、
共通するのは
「幸せになる場面」
「うれしい気持ちになる場面」
これです。
「情けは人の為ならず 巡り巡って己が為」
昔から言われていたことですね。
自分の為にしているというより、
相手も自分も同じ、という感覚です。
「自分の未来にうれしいことを増やそう」
と思って人に優しくするわけじゃないんですよ。
結果的にそうなるんですが、
目の前で、すでに経験している、という感じでしょうか。
自分が子供に優しくしてあげて、
だけど自分が優しくしてもらってうれしい気持ちを感じてる、
という感じ。
今その時に、リアルタイムで嬉しい気持ちを感じてるんです。
そういえば最近、
嫌な場面を目にしなくなってきました。
嫌なことがあったとしても、
それについて考える時間が圧倒的に短くなった気がします。
うれしい変化です。