お母さんの話。 悲しい気持ちに気付き、うれしくなった

先日、私の両親が遊びに来てくれました。

以前も記事に書きましたが、(コチラ

(新型と思われる)うつ病の妹の面倒を見るのは母なので

妹が嫌な気持ちにならないように妹だけを考慮して、

私には「妹が実家に泊まれなくなるから(部屋が無くて)、泊まりに来ないで」

と、私が産後間もない時でも言ってくるくらいでした。

ま、確かに大変なんですよね、(新型)うつ病の妹が暴れだすと。

妹は何事も人のせい、親のせい、と恨みを持っていて

そんな風に言われて母もきっと自分を責めているんだろうと思います。

そんな妹が結婚・出産して、

子どもが幼稚園に入るまで

出戻り状態でほとんど実家で暮らしていたんだから

そりゃあ妹の子も特別かわいいだろうと思います。

実際、妹の子だけ特別かわいがっている様子です。

私はそれが本当に嫌だ。

うちに遊びに来ても

「Aくん(長男)のどこどこがBくん(妹の子)に似てるー♪」

「こないだBくんが~~」

「Bくんの時はこうだった~」

と妹の子の話ばっかり!

妹の子にはべったりなのに

うちの子どもとはちょっと遊んだらおしまいで

離れて座ってお茶を飲んでいる。

せっかく遊びに来てもらっても

私は悲しくなるばかり。

父はどの孫にも平等です。

ただただ、みんな、かわいいな~かわいいな~って、単純な人(笑)

母は遊びに来てもなるべく早く帰ろうとします。

それを見るのも悲しい。

両親が帰った後、

私の心は嫌な気持ちがグルグル渦を巻いていました。

母はどうしてああなんだろう。

なんでこういうことをするんだろう、こういうことを言うんだろう。

こういうふうにするのはひどい。

ああいうふうにするなんてひどい。

親って普通こうなんじゃないの!?

おばあちゃんって普通こうなんじゃないの!?

母を責めることばかりが頭の中からあふれてきます。

…あぁ、私も妹と同じだなぁ。

この嫌な気持ち、母にぶつけた方がいいのか!?

それも、効果的な方法を私は知っている。

母の為にそれをやらないだけで、やろうと思えばやれる。

父の前で、母のこういうことで悲しい!と、泣きながら訴える。

そうすれば父は怒り狂うだろう。

そして、母は暴力を振るわれる。

父(の暴力)を恐れている母は、

私が父に告げ口しないように

今度は私にも気を使うようになるだろう。

だけど私はそれができない。

母も、私がそれをしないと思ってるんだろう。(それも悲しい

それに、

「ここがひどい!こうしてほしい!」

と直接言うことは

今の私は気持ちが軽くならない。

悲しい

悲しい

悲しい

母への嫌な気持ちがあふれる中

少しでもいい気分になりたくて、

嫌な気持ちが教えてくれている

自分が求めているものに目を向けました。

私は、まだまだ守られたい気持ちがあるんだなぁ

私は、こんな年になっても、いくつになっても、愛してほしいんだなぁ

愛してほしいんだなぁ

大切にしてもらいたいんだなぁ

悲しい気持ちの分だけ、

自分が求めているものがはっきりと分かる。

あぁ、私が欲しいものはこれだったんだ。

望むものはこういうものだったんだ。

そしてふと気付く。

私は親に完璧を求めている。

私も親になった。

私は、完璧か??

私は子どもに完璧を求められても、応じることはできない。

・・許して~~・・!

「親は〇〇じゃないといけない」

「おばあちゃんは〇〇じゃないといけない」

って、

私は人に求めまくっている。

完璧を求めまくっている。

そりゃあ無理だろう。人だもの。

だけどいいところもある。

そこと付き合おう。

(自分が子供に完璧を求められると思ったら急にこうなるww)

私を許そう。

そして、母を許そう。

私は完璧(理想?)を求めていた。

人にも、そして自分にも。

そうか、私も完璧じゃなくてもいいんだ!

「こうしなくちゃいけない」

「こうすべき」

というのはないんだ!

「こうしなくちゃいけない」

「こうすべき」

という考えのせいで苦しくなる必要はないんだ!

その考えのおかげで助かったり楽しいことがあるなら、

そういう部分はそのままでいい。

だけど、苦しくなったり嫌な気持ちになるなら

そんな考えは手放していいんだ。

私は「〇〇すべき」という窮屈な考えにぎゅぅぅぅーっと縛られていた!

完璧じゃない?

ま、それが人だよね。

完璧じゃなくていいじゃん。

ダメと思うようなところ、あっていいじゃん。

そもそもそれは本当にダメなのか?

それにいいところだって山ほどあるよ。

ほらなんかこれ↑、力が抜ける感じ。いいね!

波動の調整、やっとできました。

ここまでできるのに、

両親が遊びに来た日から2,3日かかりました。

やっぱり、親とか大事な人とのことは

自分の核心に触れることが多いのかもしれません。

でもその分、課題が大きい分、

波動の調整ができるとスッキリ感も大きい!

私はこれまで、母に会うのがだんだん憂鬱な部分が多くなってきていました。

憂鬱って・・そんな波動を出していたんじゃ、

そりゃあまたさらに憂鬱なことを目にしますよね。

私は母に会ったら、

「あぁ、人ってこんなに自由でいいんだ」

と自由さを感じることにしようと思います。

そうすると気が楽になるから。

「なんて自由なんだろう。〇〇すべきとかいうのに全然縛られていない。」

「自分の気持ちに素直なだけなんだ。」

「そういうのも、アリなんだ!」

母のいいところは素直なところ。

そういうところを味わおう。

私は、母が遊びに来て、

母の振る舞いに悲しくなりました。

とても、悲しかった。

妹が出産してから4年。

最初はわずかな違和感だったけど

少しずつはっきり感じるようになった悲しい気持ち。

やっとその気持ちと向き合えることができた。

やっと対処法が分かった。波動の調整方法が分かった。

私にとっては大きな壁だった。

大きくて高くて、こちらが陰になるような感じの壁。

その壁の前に立つと、薄暗さを感じるような。

核心をついていて、その分悲しさは大きかったけど

その大きさの分スッキリした感じも大きい。

大きく大きく、気が楽になった。

私の生き方も、これでたぶん少し変わったと思う。

大きな悲しみの分だけ、

大きく変化できる。

大幅に、良い方へ変化できる!

そう思うと、

悲しかった時間も必要だったんだ、大切だったんだ、と思えてきました。

悲しかったから気付けた。

大きな悲しみだった分、大きな気付きが得られた。

ここ、うれしいです。

自分の大きな課題に向き合うのは大変です。

だけど、その分変われるんだなと実感しました。

世界が変わった感じ。

自分の課題はいつも感情が教えてくれる。

また一つずつクリアしていきたいです!

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