「この世には楽しむために生まれてきた」って、どういうことか分かった気がする

私の今の状況は、

かわいい子供たちがいて、

優しい夫がいて、

理想と思っていたくらい広いおうちに住んで、

金銭的にも生活に困ることなく、

しかも育休中で子供と1日ずっと過ごせる。

自分も家族もみんな健康。

これって、私の理想中の理想。

最高すぎるほどに最高の状況なんです。

なのに、

「子供が散らかす」

「もっと時間があったら」

「ゆっくりする時間もない」

「あー誰か手を貸して」

「もっと家族でお出かけしたい」

等々、

全然ありがたがらずに過ごしている時間が多いなぁ・・

と気が付きました。

毎日毎日このありがたい状況を過ごすうちに、

すっかり慣れて

「ありがたい」

「こうなってうれしい!」

って、

思えなくなっちゃってるんだな

と気付きました。

それは、悪くもあり、良くもあり、なんだろうと思います。

良い意味では、さらなる好ましい状況へ進むため。

悪い意味では、それではどんなに願いが叶っても、

無限に、幸せを感じられなくなってしまう。

だから、今持っている願いが全て叶ったとして、

叶った状況がずっと続けば、

また小さな不満というか、

「もっとこうならもっと良いのに、あー嫌だ嫌だ」

みたいな気持ちになっちゃうのかな、と思って。

本か何かで、

魂があって、

「この世には楽しむために生まれてくる」

死んでしまうと、

その一度生きた経験から次のテーマを見つけてまた生まれる。

生きている間だけ何かが起こって、

死んだ後や生まれる前は

振り返りをしたり、

生まれることをワクワクして待っていたりする。

何が言いたいかというと、

生まれて、生きているだけで、

もう最高なんじゃないか、と思ったんです。

色んな経過を経るとしても、

それは生きているからで、

しかも

嫌だと思った経験も、

最終的にすごくいいことにつながってるかもしれない。

何か起こることは

全て自分が楽しむためだけに起こっている。

なぜなら生きているから。

生きていなかったら、どんなことも起こらない。

つまらない。

生きてることに慣れると、

「もっとこうならもっと良いのに、あー嫌だ嫌だ」

と思ってしまうのかも。

生きていることに、感謝。

死んだら何も感じられない。

うれしいも悲しいもない。

一つ一つを感じられる、

この世は、

何もない死(というか無?というか)の世界から見たら

なんて楽しいことだらけでしょう!

そういう意味で、

生きている間中、楽しいんだなぁ、

と、思いました。

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