一つ前の記事(コチラ)で
”別の領域”が分かった、と書きました。
そのつづきです。
昨日、
「やばい、時間が遅くなる」
と焦りを感じてきた時がありました。
そこで陰から見ている存在を感じてみると、
「あぁそうだった、焦っても意味がない。」
「焦らせているのはゲーム(映画とかテレビとか)だ。」
「別にどうなろうとも何もこわくない。こわいことは何もない。」
「焦る必要はない。」
「焦っても焦らなくても何も変わらない。」
と、こんな感じで焦ることはやめました。
無理やりそう思おうとしてるんじゃなくて、
自然にそう思える。
エイブラハムも、なんとかメソッドの類も、
そして最近気が付いた「別の領域」も
やり方は違っても、目指すところは同じなんですね。
どんな方法でもいい。
色んなやり方がある。
好きな、自分に合った方法で、目指す状態になればいいんだ。
いいも悪いもない。
価値を決めているのは自分。(上で言う「私」)
先入観を外す。
柱の陰から見ている存在(魂?)は
いいも悪いも判断せずただ見ているだけなので
先入観がないんです。
フラットになれる、いい視点を見つけたな、と思います。
フラットというのはつまり、
嫌なことが何もない、ってことです。
気が楽です。
どんなことも、ただそれが「ある」「見える」だけで
それぞれに特別な意味がない、
先入観がない。
私は「もっとお金が増えたらいいな」と思っていましたが、
そう思った時に、例の
「柱の陰からこちらをみている存在」を感じてみると、
「お金」・・・紙。
・・・だから何だ。
っていう感じに思ったんです。
例えば、
「1000万欲しい!!」
も、
「1000万枚メモ用紙が欲しい!!」
と同じ。
「1000万本つまようじが欲しい!!」
と同じ。
なんか、バカらしく感じてきました^^;
そうすると、
「欲しい!!」
って気持ちにはもうなれなくて。
だって、「つまようじ1000万本手に入れよう!!」
って・・・思えない^^;
つまようじ1000万本って・・
数が多いのは分かったけど、
そんなに力むことじゃないでしょ^^;って感じ。
それと同じ。
それと同時に分かりました。
「欲しい、欲しい!!」
と力んでたってことは、
それだけ難しいことだって思ってたってこと。
手に入れるのは難しいと思ってたってこと。
お金も、メモ用紙も、つまようじも
同じ重さで見ることができると、
「たったそれだけの(簡単な)こと、どうでもいいや」
って思いました。
だから、
これまで「どうやったらお金が増えるかな」
と考えたりしていましたが、
そういうことを考えることも無駄な気がして
考えるのはやめました。
「つまようじ、どうやったらいっぱい手に入れられるかな」
って、なんか無駄な考えな気がしたんです。
だって、つまようじだよ?
いくらでもあるし。
いつでも、いくらでも、あるじゃん。
あぁこれって
「執着を手放す」ことができたのと同じかも。
執着を手放す道筋はたくさんあると思うけど、
そのうちの一つの道から、たどり着いた。
あぁ、また長くなったのでここで終わりにして
次に続きます。
次は、執着を手放したはいいけど、
それなら現実を感じて考えている「私」は何をしているか
について書きます。