怒りの裏には「〇〇であるべき」「〇〇すべき」という制限が隠されている

今日はこのことを書きたくて書きたくて、

早く書いて伝えたくて

手が震えてくるほどでした。

なんでだろう^^;

題名そのままなんですが、

怒りを感じる時、ありますよね。

「あ、今私怒っている。」

そう気が付けたら次に進めます。

そのことに気が付けたら、

怒りの裏にある

「〇〇であるべき」

「〇〇すべき」

と制限をつけていることに気が付けるチャンスなんです。

本当は制限なんてない。

制限を付けているから嫌な気持ちになる。

小さい例ですが、私の場合、

スーパーで買い物をしたら

一秒でも早く家に帰って

お肉を冷蔵庫・冷凍庫にしまわないといけないと思っていました。

早くしまわないとお肉が悪くなる!!

って思っていたんですね。

だから、

夫が気を利かせて

買い物したものを冷蔵庫にしまっていてくれたりしても

お肉以外のものからしまっていたりすると

「お肉から先にしまってよ!!」

って怒っていました^^;

夫は

「そんなにすぐ腐らないよ、、」

って言っていましたね、そういえば(笑)

それから、冷蔵庫はすぐに閉めないといけない!

とも思っていました。

だから、誰かが(と言っても夫なんですが笑

冷蔵庫を開けたまま何を取り出そうか迷っていたりしたら

「早く閉めてよ!!」

ってすかさず言っていました。

でもさ、自分で言っておきながらなんですけど

そんなに怒ることかね??笑

そんなに、自分や相手の気分を害してまで大切にすること??

命がかかっているなら別だけど、

冷蔵庫だよ?笑

お肉だってそんなにすぐに悪くならないよ?笑

このこだわりに気が付いてからは

お肉を買った後も

同じモール内で本を買いに行ったり、

モール内でお茶してから帰ったりするようになりました。

冷蔵庫も、あまりに長かったら言うけど、

ちょっとのことなら気にしなくなりました。

案外、こういう小さいところから

大きな「べき」への対応につながっていくんだろうな

なんて思います。

大きな「べき」というのは、

例えば子供が男の子なのに髪を伸ばしたがったりした時に

「男の子なのにおかしい、ダメ」と拒否してしまったり、

学校に行きたくないと言った時に

「学校は行かないといけない」

と反応してしまったり、

「結婚するべき」

「子供を産むべき」

「仕事は急いで早く終わるよう頑張るべき」

等々ですね。

つまるところ

「その人そのままではいけない」

と発信してしまうことです。

自分にも、相手にも。

それってすごーーく苦しいですよね。

息苦しい。

自然なままの自分でいたらいけなくて、

いつも何かの型にちゃんとはまっているか気にして

いつも、これで大丈夫かと何かのものさしに自分を当てはめて

修正すべきところはないかチェックして、

・・って、

こんなことばっかりやってたら疲れます^^;

そんなことにエネルギー使っていたら

エネルギーがもったいない。

自分の中にある、新しいものを生み出したい、やってみたい、

ということを実現するところまでエネルギーがもたない。

その前に疲れちゃう。

毎日を生きるだけで精いっぱいになっちゃう。

そんなの、本当にもったいない。

せっかく生きているのに!

と、いうことで、

小さなことでもいいから

制限から自由になっていきたいですね。

この思考になってから

子供を怒ることも少なくなりました。

遊びに夢中で

「ごはんだよー」

と言っても来ない場合は、

そのままにしておきます。

別に、今食べ始めないといけない理由はないですよね。

そこまで決められてたらなんだか奴隷みたい、、とまで感じるようになりました。

「遊ぶの楽しいんだね(笑)一段落ついて食べたくなったらおいで~」

と言って、先に食べ始めます。

食事の時間が長引いて

その後の生活時間がずれ込んじゃうのでは!?

って不安になると思いますが、

我が家では今のところ困ったことにはなっていません。

むしろ、子供も上機嫌で食事がスタートできて

無駄な?兄弟げんかもしないし、

気分良く、スムーズに生活できて

良い感じになっていると感じます。

だから、

自分が怒っていると気付いたら

制限から自由になれる!

というちょっとした喜びみたいなことも感じるようになりました。

「べき」という制限に気が付けたら、

その堅苦しい型から解放されるので

自由というか、のびのびというか、

気持ちが晴れるから。

そういう意味でも、

自分の感情は本当に素晴らしい案内役です。

もう頼りっきり(笑)

そうそう、

「いつも前向きでいるべき」

も制限ですよ~!

いつも前向きでいるなんて、

生き物である人間には最高に不自然じゃないですか??

喜怒哀楽、全部あるのが人間です。

怒ってオッケー、悲観してオッケー、

全部オッケーなんですよね。

お天気で例えるなら、

いつも雲一つない晴天であるべき!

と言っているようなものですよ。

雨が降らなきゃ作物は育たないですよ。

何がダメということはない。

もっと言うと、

制限がダメってわけでもないんですよ。

制限があるから、自由を感じられたりもするんでしょうね。

制限かけてた自分、オッケー!

でも制限かけてると堅苦しいし、

自由な方が気分がいいから

そっちの方がいいな、

みたいな感じ。

なんかそう考えると、

生きれば生きるほど楽しくなっていくんだな

と思えてきました☆

これまで年を取ることは

「老いる」

というイメージでしたが、

なんというかこう・・

「磨きがかかっていく」

というイメージ。

うん、この考え気に入りました^^!

私は今、自分のことが好きです^^

うれしいです。

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