願いの対象に執着してしまうのは

「願い」にも自分の思い込みが入っていることがあるな、と思います。

特定の相手との関係を願うことについてどうして違和感があるのか

今日フッと降りてきて納得できました。

降りてきたことをシェアしたいと思います。

ーーー

何かに固執する時、裏には同じようなものがあるのではないか・・

固執

執着

手放せない

「それでなければ絶対にダメだ」と思っている時、

その裏には「それ以外に自分が幸せになれる道はないだろう」

という思いが見え隠れします。

そりゃあ必死になってしがみつきたくもなりますよね。

「それ以外に自分が幸せになれる道はないだろう」

はもっと言うと

「自分は幸せになれないんじゃないか」

「自分が幸せになるのは難しいだろう」

「このチャンスを逃したら自分は幸せになれない」

まるで細い細いロープの上を綱渡りしているよう。

幸せはこの1本のロープの上にしかない。

落ちたら死ぬ。

だから、絶対に話さないようにロープを握りしめる。

神経が張り詰めた状態ですね。

本当は

ロープ以外の空間も安全で

楽しくておもしろいことがたくさんあるのに

それが見えない。

見ようという発想もできない程に思い込んでいる。

「自分はこのロープくらいしか歩ける能力がない」

「自分が歩けるのはこのロープくらいだろう」

と思っているから。

つまり、自分のことを否定しているから。

何かに固執している時

何かに執着している時

何かを手放せない時

自分を否定している状態ではないだろうか?

引き寄せの法則は

その時の心の状態が重要なんですよね。

同じ願いでも、

字面が同じでも、

【その願いの裏にあるもの・その願いと共にあるエネルギー】

が拡大するので

結果が違ってくるのは当たり前です。

自分が本当に幸せになれる願いの見つけ方、

学校で教えてくれないかなぁ、ほんと。

家庭で教えるべき内容であるなら、

親になる人に向けた教育が必要。・・おっと、脱線しました。

自己否定のエネルギーをまとった願いをいくら思い続けても

自己否定が深まるだけ、ですよね。悲しいことですが、、

じゃあどうしたらいいのか?

ここで<引き寄せの基本>に立ち戻るわけですね。

自分を肯定的に見ること

自分を肯定的に見れるようになること

自分を大切にすること(自分は大切にされていい存在だと思えること

自分の喜ぶことをすること(自分はうれしいことをしていい存在だと思えること

本当に自分がしあわせになれる願いは

自己肯定できている状態で、もっと自分が喜ぶことを願う。

その場合、

その願いに固執したり、執着したり、するでしょうか?

あってもなくても幸せ、そうなったらもっと幸せ。

こうだといいけど、無理なら他の道を探そう。

こうだといいけど、少しその願いから目を話して待ってみようかな。

というような、軽いタッチに変わっていると思います。

あってもなくても幸せ、そうなったらもっと幸せ。そうなったらいいなぁ。

今もうすでに楽しいけど、あれもやってみたら楽しそう。やってみたい。

すでに充足を感じていますよね。

で、さらに楽しみたい、という感じ。

先に充足を感じる・・うーん、いつもの文言ですね(笑)

先に充足を感じるには、いろんな方法があります。

当たり前に感謝、とか

今五感で感じるもののうち、気持ちのいい感覚に集中して味わう、とか

今あるものを見る、とか。

私の場合、それと並行して「自分の喜ぶことをする」

(自分の喜ぶことはなにか、いつも探す。自分の感覚をいつも気に掛ける)

をしていたら

自己肯定感が上がってきた感じです。

最初は自己肯定感が低くても大丈夫ですよ~~☆

~「自己肯定感の上げ方」につづく~

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