一つ前の記事(コチラ)で「どうしてお金がほしいのか」考えました。
すると出てきたのは
「すごいと言われたい」
「センスがいいと言われたい」
というものでした。
だけどこれって根本の欲求じゃないような気もします。
なので
「なぜ?」
と聞いてみることにしました。
すごいと言われたい。
なぜ?
↓
ちやほやされたい
(おっとここで、この表現に拒否反応を感じています)
なぜちやほやされたい?
↓
自分のことだけに注目してほしい、
しかもそれはプラスの方向で。
つまり、いつも見ていて、ほめてほしい。
自分の言うこと(話。つまり感情。思ったこと)を聞いてほしい。
親身に、温かく、拒否せずに聞いてほしい。
できれば叶えてほしい。
叶えられない場合は温かくよしよしして、できなくてごめんね、と言ってほしい。
ーー
ふふふ、これはまるで子供ですね^^
完璧な母の愛(と私は感じるし、この表現がしっくりくる)を求めています。
4歳の息子が
「ママ~見てよ~!見てよ~!」
と言うのとまったく同じ。
4歳どころかもっともっと赤ちゃんとも同じ。
世界にそういう風に扱われたいなら、
自分に対してそのように扱う。
私は、自分の中に
生まれたての赤ん坊と
そして完璧な(つまり、いつでも温かく、100%受け入れてくれ見守ってくれる)母、
の二役を持つということ。
自分を愛する、大切にするって、
具体的には
「自分に注目する」っていうのはつまり、
小さな気持ち、小さな欲求に気付いて、
できれば叶えてあげる。
できなくても温かく接してあげる。
受け入れてあげる。
例えば、
時間がなくてギリギリ間に合う電車に乗ったと思ったら、
「トイレに行きたい」
と言っても、怒らない。
怒らないのは無理だとしても、
非難しない。
「どうして先にトイレを済ませて置かないんだ、おまえはなんてバカなんだ!」
とか言わない。
「まったく、しょうがないねー><」
と、受け入れる。
・・という感じ。
だからやっぱり、自分の小さな気持ちに気付くのは
自分を大切にする一歩ということですよね。
自分の気持ちに気付いて、
その気持ちに温かく寄り添う感じ。温かくね。
その日々の小さな気持ちを大切にすることが、
上で「なぜ?」を繰り返したことを逆にたどるように
「お金持ち」
につながっていく。
ところで、ちょっと関係ないけど、
朝起きて布団の中でうとうとしている時に、
「願ったらすぐに叶う」を体感しました。
自分でもびっくり。
まさに「選ぶだけ」という感覚です。
なんだこの感覚は・・!
選ぶ→その瞬間に叶う。
選ぶ→そうなる。
可能性が揺らめいていて、
その中から自分が選ぶだけ。
今朝の私の場合は
自分好みの部屋を選んで、そうなる、というのを映像付きで見ました。
夢を見たような感じで。
実際夢だったのかもしれないけど、
感覚は確かにつかめた。