「願望が叶った自分」を感じるのが難しい時

引き寄せでは、

「願望が叶った自分になって、それを感じてみよう」

みたいな感じで言われていたりするけど、

私にはなかなか難しかったです。

例えばかっこいい車が欲しいとして、

でも現実にはまだ自分のものになっていないので手元にもないし、

「かっこいい車が自分のものになった(願望が叶った)」

と心の底から思えない。

その結果、

「『かっこいい車が自分のものになった』と思おう」

「でも本当は手に入っていない」

「どうやったら買えるのか・・」

「いつまで経っても買えないんじゃないか」

みたいに、

結局「不足」を感じる結果になってしまうことが多かったんです。

そんな時、達人まとめかな、どこかの記事で

「願望を叶えられる私」になるといい

というのを読みました。

「願望を叶えた私」ではないから受け入れやすいんです。

「願望を叶えられる私」というのは何かというと、

私が読んだ例では「受験」です。

「合格した私」では抵抗を感じるけれど

「合格できる私」なら抵抗を感じない。

まだ合格してないから「合格した私」ではないけど、

受験したら「合格できる力を持っている私」。

「かっこいい車を自分のものにした私」には抵抗を感じますが

「かっこいい車を自分のものにできる私」なら抵抗を感じることなく、

そういう「私」を感じることができます。

自分に「願望を叶える許可」を与える感じに似ているなと思います。

そしてふと気が付きました。

自尊心を育てるとか、

自信を持たせるとかは

この「〇〇できる私」に直結する気がする。

子育てで、

子供が引き寄せしやすいように手助けしてあげられる。

「自分はできる!」

と思えることは、その言葉の意味通り、

「できると思ったことができる」人になっていきます。

「空を飛びたいな」という願望に

「無理でしょww」じゃなくて

「できる!」と思ったから

飛行機が出来上がった。

飛行機がない時代に

人を乗せて空を飛べるものを作り上げるって、

本当にすごいなぁと思います。

飛行機とか宇宙へ行くとか、

全部私と同じ人間が達成していることなんですものね。

0から1が一番大変。

だけど、0(願望)が浮かべばそれは形にできる。1にできる。

そう考えると、願望を持つ方が難しいんじゃないかと思えてきます。

だから人間は一歩ずつ進化していくのかな。

夜も明るかったらいいな→電気ができる

離れた人と話せたらいいな→電話ができる(電気がないとできない)

顔を見て話せたらいいな→テレビ電話ができる(電話がないとできない)

低価格でテレビ電話ができたらいいな→ネット回線でできる(テレビ電話の発想と、ネット環境ができていないと不可能)

電気すらない時代に、いきなり

「低価格でテレビ電話ができたらいいな」

とは思えないのと同じ。

んー、でもどうかな?

制限をなくした願望というのは、

電気すらない時代に「低価格でテレビ電話ができたらいいな」

を願望に持つようなものかもしれない。

根拠のない自信は、

引き寄せ的にもすごくいいものなんだな、と思います。

理由はないけど、

「できる!」

と思えることで、波動も調整されて、

願望は形になっていく。

「空を飛びたいな・・よし!作ってみよう!」

「いや、やっぱり無理か、、でもとりあえずやってみよう・・」

みたいな波動じゃあ飛行機はできなかったでしょうね。

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