金魚が死んだ ー自分の本音を拾うー

先日お祭りに行きました。

子供がきんじょすくいをやりました。

5歳、もちろんすくえないまま

あの薄い膜が破れました。

お店のおじさんは、一匹すくって

息子にくれようと準備してくれていましたが、

「あ、いらないです~」

と言って一旦お店を離れました。

うちはいつも、いらないものは無料でも、

今回のようにお金を払っていても、

もらわないようにしています。

保育園の夏祭りのスーパーボールすくいも、

子供が小さいうちは口に入れてあぶないので、

すくっても戻して帰ってきていました。

だから、きんぎょをもらわないで帰るのも

うちにとっては自然な流れなのです。

が、息子が欲しそうにしていたので、

「欲しいの?自分で世話をできる?」

「おじさん、やっぱりくださいって言ってきな!」

と言ってお店に戻り、きんぎょをもらって帰りました。

息子のやりたい気持ちを

なるべく潰さないように、

と意識していますが

チャンスが来たその時に息子の意識に気をつけて、

その時に拾う必要があって、

自分の意識に気付くのも時に難しいのに、

人の意識はまたさらに難しいです^^;

でも私は、子育てでも引き寄せを活用していきたい、

子供にも引き寄せ上手・・というか、

本当の自分を生きて生き生きと幸せに楽しく過ごしてほしいと思っているので

難しいけど頑張っていこうと思っています。

さて、その金魚。

最初から病気にかかっている感じでしたが、

まもなく死んでしまいました。

生き物が死ぬのは、私は本当に嫌です。

だから飼いたくなかった。

けど、子どもにとったらいい経験だなとも思いました。

金魚が、ほとんど動かなくなって、

全然動かなくなって、

死んでしまったんだな、と分かりました。

息子は大好きな仮面ライダーをテレビで見ていて、

その間に全然動かなくなってしまったんです。

私は子供たちと金魚を埋めようと思っていたのですが、

どうにも、

死んでしまった金魚と同じ空間にいるのが嫌で嫌で、

最初は我慢していたんですが、

「ハッ!なんで自分の気持ちを我慢しているんだろう!?」

と気が付いて

「ママ、一人で埋めてくるね」

と言って

一人で金魚を埋めてきました。

金魚を入れていた入れ物が空になり、

小さくても命は命だな、

小さくても存在感があるものだな、、

つまり、さみしいな、、

と思いましたが、

さっきまでのような嫌な感じはしませんでした。

あー、よかった。

自分の声を拾ってあげられた。

日常ってこんなことの繰り返しです。

我慢したり、

我慢させたり、

一応そのたびに理由はあるけれど、

その人の気持ちを押さえつけるほどの理由は

そうめったにないと思います。

なんでこう気持ちを押さえつけちゃうんでしょうね。

なにも、

「仕事が嫌だ」

なら

「すぐその仕事を辞めた方がいい」

とか大きなことを言っているわけではなくて、

もっと日常の、

日々の自分の気持ちから

拾ってあげたら

いつの日かその延長線上で

嫌だった仕事が楽しく感じられるようになったり、

スムーズに、促されるように

新しい環境に入ることになったり

という未来に続いていくような気がします。

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