別の領域の視点で見ると「生きて感じていること」が幸せに思える

ごめんなさい、

今日時間がないんだけど

どうしても書きたかったので

書ける範囲で書きます。

別の領域って、

普段普通に感じている自分の意識を、

その後ろから観察している立場のこと

だと私は思っているんですが、

その別の領域からの視点で

普段普通に感じている自分の感覚を眺めると

とにかく、

「生きていていいな」

「生きて、いろんな経験ができて、色々直接感じられていいな」

というようなことを思うんです。

別の領域の視点の存在は、

それができないから。

観察することしかできないから。

そうすると、

生きていることがそれだけで

ものすごく宝みたいな、

ものすごくうらやましいこと

みたいな感じに思えてくるんです。

(この段階でもうプラスのエネルギーになってますね)

その視点を持って生きると

生きることの価値が分かるというか、

全てを楽しめるようになるんですよね。

そしてその存在は、

チャンネルを変えることができる。

見たい番組を選ぶことができる。

あぁ、それ辛いんだね、

こういう番組に変えようか、

と、変えられる。

だから、その存在になると

現実も好きなように変えていける。

と言われていると思います。

このバランスがなかなか説明しにくいんですが、

プレーヤー・演者(普通の意識で過ごす自分)であり、

監督・作家というような物語りをクリエイトする存在(別の領域から見ている存在)である感じ。

プレーヤーだけだとクリエイトしていけない。

別の領域にいるだけだと、きっと臨場感が出ない。

このバランス。

でですね、

私は別の領域の視点に立てた瞬間、

だから何だ。

この存在は、

プレーヤーの感情を見ている存在にすぎないじゃないか。

無だ。

なにもない。

・・と思ったんです。最初。

チャンネルを選べる、

ということは分かるけど

そのことにそんなに感動しなかったんです。

体感していなかったからですね。

言いたいのは、

別の領域の視点に立った後に

もっと生きることを楽しむために必要なことは

夢を持つ力ということです。

ここで、よく成功者が語る

「夢を持て!」

に続くんですね。

続く

ブログランキング

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする