断捨離できないのは「不足」の観念があるから

私は断捨離ができません。でした。

ちょっとずつ変わってきています。

うちには、大切に保管していた素敵なお皿が何枚もありました。

高級なグラス類や、

ブランド物のカップ類もたくさん。

結婚祝いで頂いたり、

引き出物で頂いたり、

親戚から頂いたものです。

自分の趣味と全然異なるものは、

ミニマリストの夫の強力なプッシュにより

リサイクルショップに持っていきました。

ある時は切子グラスを売りました。

売りに行く前に義姉に

「今は好みじゃないけど、いつか素敵だと感じるかなぁ。」

「売ったらいつか後悔するかなぁ。取っておいた方がいいかなぁ。」

と話したら、

「デザインってその時が一番素敵な気がするなぁ」

と言われました。

義姉はすごく優秀で賢くて優しくて上品で、

物事の本質を教えてくれる、私の心の師匠です。

そっか。

私がいつか切子グラスを好きになったら、

その時に素敵だと思う切子グラスを買えばいいんだ!

その時に素敵だと思うグラスはたくさんあるだろう。

今このグラスを手放しても、

世の中にはいくらでもあるし、

その時にもっと素敵だと思うものはたくさんあるんだ!

今好きでもなくて使ってもいないこのグラスを手放しても

全然もったいなくないや!

むしろ、誰も使わず家で保管しておくほうが

グラスの利用価値が0になってしまってもったいない。

今これを気に入ってくれる誰かに使ってもらったほうがいい。

断捨離ができないことの根っこには

「不足」があるんだな、と気付きました。

今使っていないけど、

いつか使う時が来るんじゃないか。

もっと言うと、

いつか使う時が来た時に、また買うのがもったいない。

(そんなことに使うほどお金を持っていない)

いつか使う時が来た時に、もう買えないんじゃないか。

(そんなことに使うほどお金を持っていない)

いつか使う時が来た時に、これより良い物はないだろう。

(良い物はそうそうない)

と、思ってる。

これって全て「不足」の観念ですよね。

ない、ない、ない。

「ない」と思っていると

「ない」現実がどんどん現れていきます。

こうして、

今使わないもの、好きでもないものが溜まっていく。

というのが、今までの私でした(笑)

だけど、

断捨離できないのは「不足」の観念があるからだ

と気付いたので

ちょっとずつ整理でき始めています。

もったいないかな・・?

と思ったら、

必要な時になったら、

いつでも手に入れることができる。

もっと良い物、もっと気に入る物、

もっと素敵な物をいつでも手に入れることができる。

そう思うと、

気に入っていて今使っているもの以外、

どれも惜しくなくなってきます。

断捨離は、ただ捨てるという行為だけじゃない。

お金や物への観念がそこに反映されているんですね。

そう言えば、

お金持ちのお宅って、物がごちゃごちゃしていないかも。

お宅が広いのもあるだろうけど、

それでもスッキリと暮らしているイメージ。

逆に、逆の場合は、ごちゃごちゃしているイメージ・・。

家は観念を表していると言っても過言ではない。

うー、なんだか恥ずかしくなってきた><

よし、うちもどんどんスッキリさせていこう!

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