ふと、子供の名前が引き寄せ的な名前だということに気が付きました。
でも、子供だけじゃない。
私も、夫も、ほとんどの人がみんなそう。
生まれる時に親が思いを込めて考えた名前。
幸せになりますように・・
みんなに愛されますように・・
豊かな人生を送れますように・・
楽しく生きられますように・・
etc.etc..
親としては、名前だけじゃありません。
もう子供の存在そのものに対してそう思っているんです。
幸せ
愛
豊か
楽しい
etc.etc.
名前を考える時間は
こんな気持ちを莫大に送っていた、送られていたんですね。
それが、自分を表す名前だなんて。
もう、自分とイコールのようなものですよね。
自分=幸せ
自分=良いものすべて
名前を考える時間だけじゃない。
お腹で大きく育つまでも長い時間がかかります。
しかも大変!
産んであげよう、と思っていないとできません。
出産なんて、もう言う必要もないと思いますが、
すんごく大変!
産もう、と思っていないとできません。
だから、生まれた人は全員、愛を送られているんです。
生きている人は全員そう。
そりゃあ、生まれながらに
良いことばかりを引き寄せる力を持っているわけです。
生まれてすぐ、一人では生きていけなかったのに
生きてこれたでしょう?
それはどうしてか?
愛があったからです。
生まれたての赤ちゃんを生かしておくのはすごく大変。
おっぱいやミルクも上手く飲めないんですよ。
しかも、泣く。
愛情を差し引いて、全くの物理現象として見ると、
それは「うるさい」としか言いようがありません。
そのうるさい出来事に、付き合ってくれる。
泣いたら、お腹がすいたか?暑いか?具合が悪いか?
と色々してくれる。
上手に飲めるようになるまで、何度も何度も付き合ってくれる。
そうして、生き続けてくることができた。
これは、愛でしょう。
生まれながらに
良いことばかりを引き寄せる力を持っているわけです。
そのことについて、自分の中で納得がいきました。
そして、以前から気に入っていましたが
さらに自分の名前を好きになりました。
夫の名前ももっと好きになりました。
自分で付けた子供の名前も、もっと好きになりました。
名前はただの記号に過ぎない、
みたいな考え方の方もいると思いますが、
それでも根底には愛があると思います。
だって、名前に
「バカ」とか「罪人」
とかつけないでしょ?
以前「悪魔」と届け出た親がいましたね。
でも受理されませんでした。
それは、社会からの愛のように思います。
ん、まてよ、
今生きていられるのは
生んでくれたお母さんのおかげ。
育ててくれた両親のおかげ。
食べ物や生きるのに必要なものを作ってくれた人のおかげ。
食べ物や生きるのに必要なものを運んでくれた人のおかげ。
食べ物や生きるのに必要なものを売ってくれた人のおかげ。
食べ物や生きるのに必要なものを考えてくれた人のおかげ。
そういうのって、全て愛が伴っているように思います。
野菜よ、育て。野菜を食べると元気になるよ。
荷物を運ぼう。これが届くと喜んでもらえる。
料理を作ろう。おいしいと喜んでくれるかな。食べて元気になあれ。
って、これ全部、愛がありますよね。
この世界は愛であふれているんだなぁ。
強弱、様々な愛で。
愛されていないと、私たち人間は生きていけない。
今生きているのは愛されている証拠。全員もれなくそう。