物は落ちる。お皿は割れる。

物は落ちます。

どんなに気をつけていても、

落ちる時は落ちます。

お皿は割れます。

どんなに気をつけていても、

割れる時は割れます。

そういう時もあるよね。

落ちない物なんてないでしょ?

割れないお皿もない。

地球では当たり前の話。

お皿が落ちて割れた。

その瞬間、子供は

「やばいことをした!!怒られる(>_<)!!!」

って顔をしてた(笑)

物は落ちるからねぇ。

お皿も、落ちれば割れるからねぇ。

わざとじゃないのは分かってるよ。

だけど今度からはちゃんと持ってね。

今度からは気をつけてね。

お皿を割ったらいけないってこと、

ちゃんと分かってるんだなー。

ならいっか。と思いました。

わざとやったり、

ふざけてて何度も落としたりしてたら、怒ります。

そう言えば、

「食事中は椅子に座ってね」

「歯磨きはしなくちゃいけないの!(泣いて嫌がってた)」

「おもちゃは片付けて!」

って毎日のように言っていたことも

「食事中は椅子に座る」とか言わなくても

椅子に座って食べるし、

食事中に立ち歩かないし、

歯磨きの仕上げ磨きを嫌がることもないし、

おもちゃも言わなくても(時々)片付けてある。

きっと、分かってるんだろうな。

分かってるけど、できない、みたいな。

欲求を抑えられないのかな。

成長と共に、欲求を抑えられるようになって、

そして、

分かっていたことを行動に移すことができるようになる。

だから、

分かってもらえればいいや、くらいに

注意、というか伝えていければいいのかな。

だから、怒る必要はない。

けど、ついつい怒っちゃうけどね^^;

何度も言わせんなーーー!って気持ちになる、、

だけど、

何度も同じことをして

何度も言われて、

だんだん分かっていって、

いつかその時がきたら、できるようになる。

今、長女に

「ごはんは座って食べる!」

って毎日毎日言っています。

椅子に立ちあがるから><

歯磨きも嫌がって泣くし。

だけど、

いつかお兄ちゃんみたいにできるようになるんだものね。

話は戻って、

お皿は割れる。

そういうもの。

割れたら、次にもっと気に入るお皿を買って使えます。

お気に入りのお皿を使う楽しみが増えます。

なくなったなら、なくなったことにそれ以上こだわらず、

空いた空間にお気に入りのものを足して増やして楽しめばいい。

先日おかあさんといっしょで聞いた歌の一部、

好きになったり 嫌いになったり

それでいいんだ それでいい

それでいいんだ それが友達

友達のこと、嫌いになったらいけないように思っていたけど、

嫌いになっても、やっぱり好きでまた一緒に遊んだりするもんね。

それが友達。

それが人間。

大人になったら、

もう二度と会わないような流れの人間関係になったりすることもあるけど、

そうしたら空いたスペースに何か入ってくる。

素敵な何かが。

恋人と別れたら、

もっと素敵な恋人ができるスペースができるし、

友達と楽しむスペースもできるし、

一人の時間を充実させることもできる。

お金を失ったら、

お金を失った経験が手に入る。

失敗したら、

失敗した経験が手に入る。

生きてる限り、手に入ることばかりなんだなぁ。

なんか、ほんとに全部が、

もっといいことにつながっているように思えてなりません。

話の流れがぐちゃぐちゃですみません。

お皿は割れるってこと。

私は子供の頃、

お皿を落として割れたら怒られ、

お味噌汁のお椀をテーブルの上でこぼして怒られ、

醤油の小瓶を倒してこぼして怒られ、

つまづいて転んだら怒られていました。

「ちゃんと前見て歩かないからだよ!なんで前見て歩かないの!?」

子供心に、

「これ、怒る必要あるかな?」

って思っていました。

大人だって落とすし、割るし、こぼすじゃん。

必要なのは、

お皿を落として割れちゃったなら、

「大丈夫だった!?」だし、

転んだなら、

「痛かったね~、大丈夫?」だし、

醤油でもなんでも、こぼれたなら

「拭けば大丈夫だよ」だと

大人になった今思います。

「気をつけてね」はその後。

産後母に手伝いに来てもらっていた頃、

母がお皿を洗ってくれて、

手を滑らせてガラスの器を落として割ってしまいました。

その瞬間。

母は「怒られる!!」って顔をしていました。

ふふ、かわいいです。息子と同じ顔です(笑)

母は、そういう時怒ってきましたからね。

「大丈夫?どっか怪我してない?」と聞くと、

こちらの反応が予想外だったみたいな顔をして

「ごめんね」と言ってくれました。

私はもちろん

「物は落ちるものだし、お皿も割れるものだよ。」

といつも思ってることを言って、

「産後へろへろで自分で家事全部やってたら、もっと割ったかもね(笑)ありがとう。」

と感謝を伝えられました。

母はきっと

母の実家で同じように言われて育ち、

自分もそのまま同じように子供を育てたんだろうな。

母独自のアレンジも加えて。

そして、それは私も同じ。

両親から受け継いだものに、自分独自のアレンジを加えて生きてる。

価値観や物の見方、考え方、捉え方をいちいち疑ってみるのは

面倒だし時間もかかりますが、

自分の生き方を自分で選んで作っていく感じがします。

だけど、

とりあえず死なずに生きていられるのは

私にとりあえずの生き方を教えてくれた両親のおかげです。

たたき台がないと、修正すらできませんからね。

そっか、今私が子供にしていることも、

生き方のたたき台作りなんですね。

そう思うと気持ちが楽になります。

あとは自分で自由に修正していってくれ~って感じ。

たたき台ですら、伝えきるのに相当な手間暇と時間がかかりますからね~

ほんと、両親には感謝感謝です。

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