未来を思い出す│波動の影響を受けた時│許す

先日、母と会いました。

祖父母に会いに行くと一応話したら

帰り道に寄れるなら夕飯一緒に食べよう、と誘われて。

私のセンサーがちゃんと教えてくれてたのに

素通りしてしまったポイントが2つあります。

1.母方の祖父母なので一応連絡した方がいいかな、と思ったけど、

本当は連絡したくなかった。のに、思考の声に負けて連絡した。

2.夕飯一緒に、も気が乗らなかったのに、断れなかった。

断る、というのは次の私の課題ですね。

課題が浮きぼられました。

その夕飯(外食)で、

母は子供たちの表面的なところを褒め出して、

「長女ちゃんは本当にかわいいよね~そんな顔で生まれたかったな~

こんなにかわいいお顔で生まれたら人生変わってただろうな~」等

で、よそのお宅の介護話から

「うちは娘が二人いるから老後も面倒見てもらえて安心だわ~」

って。

・・年に1,2回会った時にする話?

私のことも、私の子供たちのこともかわいがってくれてるならまだしも、

うちの子供のお祝いの席でも妹の子供の話ばかり。

盆や正月に集まってみんなで食事する時も、

うちの子供が「ねぇ、おばあちゃん」って声をかけても無視してたり、

私が「胃腸炎で動けないから助けて」と電話しても

「今(私の)妹ちゃんが遊びに来てるから行けない」

と言われたり、

妹ちゃんが遊びに来れなくなるからお姉ちゃんは遊びに来ないで、

と言われたり。

それで、

ちょっと子供の顔を褒めて、

ファミレスでデザート食べな、食べな!と言って、

「老後よろしく」

って、本当に、わが親ながら人としてどうなの、と思いました。

ここ数年、ちょくちょく「老後よろしく話」をしてくるんですよね。

はぁ。別に、老後面倒見ないとか思ってなかったし、

その時にできる範囲のことはしてあげよう、助けてあげよう、

と思っていましたが、

その気持ちを踏みにじられるような気持ちです。

って、そんなことを

やはり、夕飯準備の時に思ってしまうんです。

私はその時間によく嫌な気持ちになりやすいんです。

まずは、自分の気持ちをちゃんと聞きました。

何度も何度も出てくる自分の気持ちを、

「だよね、だよね、そう思うのも当たり前だよ」

と聞いてあげました。

そうしたら

「あんな人にもう会いたくない、あいつは嫌だ、あいつは嫌いだ、関わりたくない」

と出てきました。

「だよね、だよね、よく言えた!よく頑張ってきたね!」

「もう、頑張らなくていいんだよ」

でも、実際に親の老後、私が手伝わないとなったら

兄弟の中でもめ事になるでしょう。

兄弟だけでなく、他の親戚に非難されるかもしれません。

・・どうしたらいいんだろう。

今、それが起こってる?

→いや、起こっていない。私は今、じゃがいもを洗っている。

絶対にそうなるって決まってるの?

→いや、決まっていない。

そうだよ!

現実は私が作ることができる!

そうだ、私には好きな未来がやってくるんだった!

これを思い出したら、

気持ちがフ~~っと楽になりました。

そうだ、そういう(嫌な)現実は流れてこないんだ。

どんな未来がやってくるんだろう。

いずれにしても、私がうれしい未来がやってくるんだ。うれしい(*´▽`*)!

私の望むことは、

・親がぐちゃぐちゃ言ってこない。 ・・いやちがうな、

・私はしたいことだけできる。 ・・んー、もっと言うと?

・私は自分と子供(家族)のためになること、楽しむことに集中している。 ・・これだ!

そう思ったら、

「そういう現実が待ってるんだ~(*´ω`*)♪」

とますます気持ちが軽くなったというか、

顔がにやけてきてしまいました。

来るかも分からない未来の心配と不安、

母への嫌悪感で嫌な気持ちでいっぱいだったのに、

顔がにやけるような気持ちに変わったんです。

現実にはなーーーーーーーんにも変わっていないのに。

母は、未来の心配をしているんでしょうね。

母は、私によくしなかったから、私に助けてもらえないと思っているんでしょうね。

そして私はその波動に影響を受けてしまった。(でも、それでいい。

そう、でも、それでいいんです。

私は人から波動の影響を受けた時の対処法を身に着けられましたから。

もう隠しきれない程に感じている

母との波動の差。

そう、もう、波動が合わないんです。

見て見ぬふりをしてきたけど、

今回でもう認識せざるを得ませんでした。

さみしいけれど。

そしてもう一つ。

私は子供には優しい教えを言っていましたが、

母には厳しかったな、と気付きました。

どんな失敗をしてもいい。

どんなに人に失望されてもいい。してしまったことはもう、仕方のないこと。

そんなことよりも、自分が幸せでいることが大切。

自分がうれしいことの方が大切。

母を自分の子供のように捉えると

責める気持ちになれなくなりました。

そう、どんなに失敗しても、大丈夫。

自分は自分を幸せにしてあげられる。

自分で自分を幸せにしてあげようよ。

どんな自分でもいいから。

私は母とは距離を置きしあわせに過ごすし、

母も母でしあわせに過ごしたらいい。

いつも子供たちに言っていることを

母に当てはめたことってなかったんです。

親を上に設定していたんでしょうね。

親だって人ですものね。

これが人を「許す」ということなのかも、と思いました。

私は、自分を「許す」ことができているんだな、とも思いました。

だから、それを応用して人も同じ考え方で許すことができるんだろう。

許しても、近づきたくなければ近づかないけどね。

ただ、自分の中に嫌な感情はなくなります。

大きな学びでした。

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